世界で起きているものごとについて、批判めいたようなわかったようなことを語りたくない。
語ること自体が、何か得体のしれないものに振り回されている「思う壺」的な感じがしています。


ISILについてもボコハラムについても、自分をどこか高みにおいてわかったようなふりをして語りたくない。日本語で発せられる膨大な「意見」の多くに、ものすごい反発を感じます。


現在世界で起きているものごとについての「批判」や「意見」については自分の中にとどめておきます。
ただ、自分の「感じたこと」と「立ち位置」の2点について書き留めておこうと思います。


この国の風潮がとても怖い。


「自己責任論」、「英雄視」、自分とは関係ないかのように政府を批判したりする社会。

そしていま、「イスラム」自体を敵視するような、唖然とする言論まであるようす。



そのすべてが。

物事の本質を隠しているのだと感じています。



そのひとたちのいう「自己責任」を負ったジャーナリストを駆り立てた背景にあるものは何だったでしょうか。
必要以上に「英雄」的側面(ごく小さな個人のこと)にフォーカスすることで、ドラマ化して何が見えなくなるのかということ。
どんな政府であれ、わたしたちの国の政府は私たちが選んだということ。


この、何もかもに、我々のすべてがまったく一ミリも関与していないとは絶対に言えない。





安全地帯など、どこにもない世の中なのだと思います。

他人事のように、自分を高みにおくことはもうやめてほしい。



なぜこのような「テロ」というものが世界に生まれたのか。
我が国の人々が全く関係ないとはとてもとても言えない。


報道の歪みを見ても、命の重さが平等でないことが痛いほどわかります。
この裏で、シリアではいったいどれだけたくさんの命が失われたのか。
一般市民を空爆することとテロと、いったいどれほどの違いがあり、我が国はそれに全く関与していないのか。


まるで誰かのシナリオに則った「対岸の火事」みたいな風潮にぞっとします。
根本的なところが隠されてしまうのは、いったいどういうわけなのでしょうか。





命の重さ。



これ以上のわたしの考え方は、述べません。


でも。



いくつか、こころに響いた文章のみリンクしておきます。



イスラム国による日本人人質事件 今私たちができること、考えるべきこと

戦場とジャーナリスト、そしてメディア報道

人質殺害事件に寄せて



そして、この文章も心にとどめておくべきと思います。


戦争に行くという意味 後藤健二