19世紀から20世紀にかけての歴史の本を読むと、ときにとても興味深い。

それほど遠い昔のことではないから、現在の社会に息づくひとやものが、垣間見えるからかもしれない。その変遷がビビッドに見えてくるからかもしれない。

最近人に紹介された本『日本人のアフリカ「発見」』という本を興味深く読んだ。

幕末から明治時代以降、昭和にかけて。

からゆきさん、探検家、商人、外交官、etc...

多くの人がそれぞれの思いを胸にアフリカの地を踏んだのだなぁとしみじみ思う。筆者は膨大な史料にあたってこれを執筆したようで、固有名詞が多くて読むのが少し大変だったけれど、それだけに自分が生まれる少し前にアフリカに関わっていた日本人や日本の社会のことがよくわかる。

4634646102日本人のアフリカ「発見」
青木 澄夫
山川出版社 2000-08

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それからもう一冊、類似テーマの本。
こちらは、日本人のアフリカ観からはじまり、エチオピア、エジプトを中心に東アフリカ、南アフリカ、西アフリカの各地域・国にフォーカスしており、とても詳しい。

ダントツに興味を引くのは、19世紀終わりからの日本の商人の話。
そして、やはり第一次世界大戦後、1930年代から太平洋戦争前にかけての羊毛の輸入のことだ。

ともかく、20世紀初頭の日本人といったら商売根性半端ない。
日本の雑貨や、綿織物、綿製品の輸出。

同書によると、1936年の東アフリカの綿織物製品の日本のシェアは80%なのだそうだ。

(このテーマ、掘り下げるとおそらく一生モノの研究テーマだ)


日本・アフリカ交流史―明治期から第二次世界大戦期まで日本・アフリカ交流史―明治期から第二次世界大戦期まで
岡倉 登志 北川 勝彦

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そして最も関心を引く南アフリカの羊毛のこと。

同書には、1930年9月に日本人羊毛買入商の南アフリカ入国許可が降りてからの活発な商取引と「名誉白人」の背景が書かれている。大阪商船がアフリカへの定期航路を開いたころだ。
(名誉白人については、また機会があれば書きたい)

わたしの曾祖父が、1930年代はじめの羊毛の輸入に携わって南アフリカの大地を踏んだひとりだったらしいということを知ったのは、わたしがアフリカ研究を始めて大学生で初めてアフリカ(ボツワナ、南ア)を訪れた何年もあとのことだった。

だから余計に、この時代の南アフリカのことがとても気になる。


そして商魂逞しい日本人たちのこと。

(曾祖父の長女であるわたしの祖母の記憶によると、1932年ごろの朝日新聞に、曾祖父のアフリカ羊毛買い付けと大阪商船のことなどが載っているということで、図書館でその時代の新聞記事を探しまくったことがあった。結局、曾祖父の名前は見つけられなかったけれど、当時のアフリカビジネスへの社会の意気込みや、「土人」という言葉から垣間見るアフリカ観、だんだんと戦争へ向かっていく様子などが窺い知れた)


この本の共著者の岡倉氏は、日本人のアフリカ観について、また日本人がアフリカとほとんど関わりを持たなかったという一部のひとたちの議論について、厳しい言葉を述べている。


その点は、わたしも少しは共感するところ。

この時代の日本製品の売り込みの積極性といったらすごい。

博覧会にも出ている。日本の商店も色んな国に出来ている。


1960年代には援助の時代が始まり、日本も戦後賠償から始まってドナー国に成長し、アフリカは「援助の対象」となった。
その後、長い援助の歴史を経て、ほんのここ数年で「アフリカビジネス」なんてことが、流行みたいにして登場した。
おまけに、ソーシャルビジネスとかなんだとか。


でも、アフリカとビジネスと日本人なんて、ほんとうにずっと前からもうそこにあったものなのだ。
アフリカはマーケットであり、ビジネスパートナーであった。


もちろん、少なくないケースが、悪名高い「エコノミック・アニマル」的だったかもしれないけれど、そしてアパルトヘイトで経済制裁下にあった南アとも経済関係を続けた日本の評判の悪さもあるけれど。


でも、わたしは持続するビジネスっていうのはいわゆる「三方よし」だと思うし、このような史料に登場してこない人々も、きっとたくさん「ビジネス」を古くから続けて来たはずなのだと思っている。

いつからか、アフリカといえば「援助」や「施し」みたいなステレオタイプが蔓延してしまっただけの話なのだと思っている。


1898年にはケープタウンに古谷駒平というひとの「ミカド商会」という商店があったとか。

こちらがわかりやすい。

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1928年に出版された大阪朝日新聞記者の白川威海による『実地踏査東アフリカの旅』の中で白川氏が述べている文章が非常に深く心に残った。

「吾々は東阿でも南阿でも一方で欧州人たちに向かっては、他のアジア人即ち印度人や支那人と異なって一等国民として待遇せよと聲高らかに主張したいのだが、他方ではまた我が日本の産業発展のためには、即ち日本の商品を賣り込むためには、どうしても各地に散在して事実上商権を握りつつある印度人と提携して行かねばならない。印度人へは提携を求めつつ、印度人と区別せよと欧州人へは要求するのだ。印度人の感情を害なはないやうにして、都合のいい時だけ欧州人の仲間入りをしやうといふのだ。これほどむづかしい立場がまたとあらうか。」


(植民地支配下で「文明化」されていったアフリカ人と日本との関係の構造について)
「実際私は彼ら土人の滑稽なる文化人化を見て笑ふ気になれない。吾々の文明国にも、かうした強制やトリックが、形こそ変れ、ザラにあるからだ……資本家がいろいろの利益分配制度なるものを案出して、労働者をできるだけ多く働かせるのは、アフリカ土人の場合とどこがちがふか。尤ももう一邊翻って考えて見れば、アフリカ土人のかうした堕落の不幸があればこそ、吾々の綿布や雑貨が賣れるのだから、どこまでも皮肉ではないか」



このひとの持つ鋭いアフリカ観とこの考え方は、ほんとうにすごいと思った。
(この1928年の本、国会図書館にはあるみたい)


ものすごく貴重な史料だと思う。


「アフリカビジネス」をちょっとした流行みたいにしてしまっているおかしな時代の私たちに、新鮮な視点を教えてくれるかもしれない。



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