ベッシー・ヘッドとわたしのことは、長い付き合いのひとはわりとよくご存知かもしれませんけれど、あらためて書いておこうと思います。

作家ベッシー・ヘッドは1937年南アフリカ生まれ。独立直前の1964年にボツワナに亡命して、以後22年間ボツワナに暮らしながら作家になったひとです。
1986年に48歳で亡くなっているので、わたしは作品や他の人を通じてしか彼女を知りません。

ベッシー・ヘッドについてはわたしのメインサイトにもう少し詳しく載っています)


1997年頃、アフリカ研究のゼミに入ったものの、漠然と南アフリカの「白人」と反アパルトヘイトについて卒論を書こうとしていたわたしでしたが、正直なところいまいち熱が入っていなかった。

そこへたまたま読んだ彼女の作品にたちまち心惹かれ、ある日ボツワナに飛ぼうと決心したのでした。
それが1998年、大学四年生のとき。

当時は、インターネットはいまほど充実していなくて、ボツワナに関する情報なんてほとんど得ることができなかった。
それで、大学の資料室にあるわりとマニアックな世界中のNGOや研究所や研究会その他が載っている電話帳みたいな本を引っ張りだしてきて、片っ端から「南アフリカ」と「ボツワナ」の文学研究会やら大学やら博物館やらに手紙を書いたのでした。エアメールですよ、エアメール。
雑誌の「文通しませんか」コーナーにも投稿しました。(これはすごい反響があって、南アフリカから55通ものエアメールが届きました。大半は、変な男でしたが)

大学や博物館から帰ってきた手紙は特に役に立ちました。

南アフリカの某所にある博物館からは、山のような資料が送られてきました。

そして、ヨハネスブルグのヴィッツ大学の某有名教授は、アメリカ人のPhD学生の女性を紹介してくださいました。(結局ヨハネスでは彼女のアパートに泊めてもらいました)


一方で、ボツワナに関する情報はほとんど集まらないまま、もう、何度も見てアフリカの情報がほとんどないことをよく知っていたはずの近所の本屋さんの「地球の歩き方」コーナーで、ふと目に留まった新しいバージョンの「南部アフリカ」版の「地球の歩き方」。

どうせボツワナなんて、チョベ国立公園が見開き2ページ載っているだけでしょ、ふん、と思いながら手に取ってみると、なんとそこには、今年東京にボツワナ大使館が開設されたと書いてあるではないですか。
これがわたしを大きく前進させる「発見」でした。

そこで、無知な大学生であった私のお馬鹿な質問の数々を親切丁寧に受けてくださったボツワナ大使館の方。それが当時、一等書記官であったプラ・ケノシ氏でした。

たくさん試行錯誤を経て、ボツワナ政府のリサーチ許可を取得していざ飛んだボツワナ。
大学四年生、21歳、初めてのアフリカ。

ボツワナ大学のリサーチ学生ということで大学の施設を使わせていただき、何人かの有名な教授などとも知り合うことができました。

そしていざ、ベッシー・ヘッドの暮らしたセロウェ村へ。

彼女の暮らした22年間、毎日のように綴っていたたくさんの手紙は数千通にも及び、セロウェ村の博物館に保管されています。そして世界中からいろんな研究者がやってきて、その手紙を大切に読んでいます。
(彼女に関しては、学会が三度開かれています)

なんといっても印象的だったのは、ベッシーの息子、ハワード・ヘッドに会ったこと。

彼は、だらしなくて酔っぱらいで、約束もすっぽかすような人でしたが、それでも優しくてわたしは好感を持っていました。

9年後の2007年にベッシー・ヘッド学会が開催されたため再訪したボツワナ。
世界中からいろんな人が来ているでしょうに、ハワードは私のこともちゃんと覚えていてくれていました。(ひとみという名前まで呼んで!)


ベッシー・ヘッドに関する本はたくさん出版されています。

でも、書簡等の中でも出版されていない文章はたくさんある。
どれも、ほんとうに美しく、人間らしく、魅力的です。

その後、ハワードは亡くなったそうです。

おそらく、お母さんと同じくらいの年齢だったと思います。
(恐ろしいことですが、ベッシー・ヘッドの母親もまた、同じくらいの年齢で亡くなっています)

わたしはその後、ジンバブエで二年間仕事をしたり、JICAなど国際協力の仕事をしてきました。
現在やっと、フリーに近い形で途上国ビジネス、いわゆるBOPビジネスのコンサルティングのようなことをしながら、何年かぶりに彼女の作品と向き合っています。

2010年に大使となって日本に戻られたケノシ氏。
誰よりも、わたしのライフワークとしてのベッシー・ヘッドの翻訳や出版のことを応援してくださった方、初めてボツワナに行ったときにも、その後も、ずっとずっと助けてくださった恩人。

わたしがベッシーの本を日本語で出版する前に、2012年、亡くなりました。
まだ五十代くらいでおられたと思います。


死なんて、いつもどこか遠くにあるものと思いがちです。

でも、ほんとうは、生あるところにいつも死があるわけで、それはいつやってくるかわからない。

何がわたしをずっと、ベッシー・ヘッドから遠ざけてしまったのだろうと思っています。
でもきっと、こういう自分の人生の「流れ」があったのでしょう。

二十代の頃はただ単に夢中だったベッシー・ヘッドの作品。

今ではひとつひとつの言葉が本当に心にしみます。昔よりもずっと、深く伝わってきます。
だから、ひとりで何度も泣いてしまって、大変です。


いま、時代は変わりデジタル化してしまっている出版業界で、紙の本を出すのは昔にも増して大変かもしれません。でも、今は熱意だけではなくて、信念もあります。
彼女の先見性、文章の美しさ、人間を見る目の鋭さ。

アパルトヘイトの闇を心に抱え、自分もまた苦しんできたベッシー・ヘッドだからこそ書けるすばらしい作品の数々。
わたしのライフワークとして、それをできるだけうつくしい日本語にしたい。
もう17年近くたった今、その思いは落ち着いた確信となっています。


9年間お休みしていたある作品の翻訳を、つい最近、終えました。

これからまた、この本を出してくれる出版社を探していきます。

あまり詳しくはブログでは明かさないけれど、facebookではもう少しだけ詳しくclosedで進捗を共有しています。



そういえば。

よく誤解されがちなんですけど。わたしの関心があったのは「文学」ではなくて、彼女自身と、彼女の言葉を通じて表される社会性のところだったのです。

以前は、既存のベッシー・ヘッドに関する学術研究に一石を投じたい一心で論文を書いたりしていたのだけれど、あまりにも「魂」の部分に近くてパーソナルすぎる文学というものは、もうわたしには研究論文にできないと思う。だから今後は、もっと違う形、つまり一般の人にも共感を得られるような書籍の形で、彼女の作品や文章を私の意識のフィルターを通して伝えたい。
そう思っているのです。


さて。

これからどんな人に出会い、どんなことになるのか。

大変かもしれませんが、わくわくしています。

自分のほんとうにやりたいことに、やっと取り組めるようになったような気がします。
それって、ほんとうに楽しいこと。


だから、もしこれを読んでおられる皆様(おいくつであったとしても)も、自分の心の中に引っかかっている「やりたかったこと」「やってみたかったこと」があれば、取り組んでみればいいと思います。

本当はあれがやりたかった、なんて言っても誰も自分の人生に責任を取ってはくれないし、誰もやってくれない。
そして、やらない理由なんて、いとも簡単にたーんと出てきます。
言い訳なんて、人間の大得意技です。

それでも、思い出してみませんか。

ほんとうは、自分をとめているのは、自分自身なのかもしれません。



追記:


そうそう。

2000年からやっているメインサイト『あふりかくじらの自由時間』を少しシンプルに整理しました。
とくにプロフィールのところだけアップデートしてみました。
(最近の作品のところはできてませんけど)




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