ボボデュラッソは、ボボ人とジュラ人の土地であることからこのような名前で呼ばれているとのこと。

ブルキナファソ第二の都市とはいうものの、わりとこじんまりとした町ではある。高層ビルもほとんどない。

赤土の印象が強くて、たくさんのバイクや車が走りごちゃごちゃとしている。

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この町のシンボル的存在は、もちろん泥のモスク。

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1893年に、泥、カリテ(シアバターの木)、砂などの素材でつくられたモスクは、独特の丸みと温かみをおびた姿。

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五年に一度塗り替えられ、いまでも大切に使われているお祈りの場所。

高い塔の中はなんと五階建てになっているそうで、特別なお願いごとがあるひとが何日間も中にこもって祈り続けるんだそうだ。

この国はとても暑くて連日四十度を越すのだけれど、中はオーブンみたいになっているんじゃないのかな(; ̄ェ ̄)


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Lonely Planetにも書いてあったけど、この町は本当にアートと文化の町のようだ。

音楽のカルチャーも豊からしいけど、一日しか滞在していないのでちょっとわからず。

でも、アートについてはよくわかった。

たくさんのアフリカンマスクのお店が並んでいる。

近隣諸国からも入ってくるのだろうけれど、とにかくたくさんの民族グループの伝統的な祭事に使われるマスクがたくさん。

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あまりにすてきなので、わたしも少し購入。お顔と水牛。

Rupurara Moonでも、選りすぐりのものだけは扱うかなぁと思うくらいすてきでした。
でも、カルチャーをちゃんとリスペクトしなくては。おもちゃや飾りじゃないですからね。

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これは川沿いの住宅地。

やっぱり低所得者層の居住地なんだろうなと思う。

もちろんこの国だけではなくて、アフリカにくるといつも思う。

外国人とみれば、もう、お金お金お金。
お金をたくさん持っていて、くれるものだと思っているひとのなんと多いことか。

小さな子どもももちろん、笑顔でよってきてはいきなり金を要求する。相手が人格を持ったひとりの個人である以前に、「金」でしかないのだ。

これは、アフリカにかかわる限り、いつもいつもいつもうんざりするくらいぶち当たること。

この国の伝統文化とそれを守る人々の心は豊かだけれど、一方でこのような心の貧しさも巣食っている。

それは、植民地主義の功罪であり、援助や慈善事業の罪でもある。
どれほど自分たちの豊かさのために先進国がアフリカを搾取してきたのか。

援助がすべて悪いこととはもちろん言わないが、ものをもらうことに身体の芯までずぶずぶに慣れきってしまったひとびとを作ったのは先進国のエゴでもある。

あげるだけの援助じゃなくて、ともに頑張りましょう〜みたいなことがいわれてもうずいぶん経つけれど、そんなものはごく普通のこういう町にきてみるとまったく通じたもんじゃない。
安易なパートナーシップのロジックじゃあ、まったく意味のないくらい、深いものをアフリカは背負っている。

アフリカの心の一部がどのようにして失われていったのか。
そういうことを思い出させられる。


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それにしても、ボボデュラッソはとてもディープそうだ。しばらく滞在すると面白い町だろうな。