水曜日に、ほんとうはレッスンに行きたかったけど、TV会議が夜に入っていて行けず。

(「時差のバカ」とツイートしたような気がするが)

アフリカと仕事をするには、だいたい7時間くらいの時差があって、けっこうそれがネックになることもある。
ブラジルとやり取りするときは12時間の差。

地球は丸いのだよ


地理的条件って、経済や社会を方向付けるもっとも大きな要因なんじゃないかと思う。


たとえば、アフリカ大陸全体の位置が、今の東南アジアと逆だったらどうだろう。


日本との経済関係は大きく変わっただろうし、発展具合も違ったかもしれない。
何よりも、あそこまで完璧にヨーロッパの植民地にはならなかったかもしれない。

(その代り・・・・の植民地にはなったかもしれない)

心理的距離感も違ったかもしれない。一つの国だなんて思うひとは少なくなったかもしれない。



たまたま水曜日にあるセミナーに出て、経済格差に関する論考を拝聴したのだけれど、大変に興味深いものだった。

いま、手元に資料がないからうろ覚えなんですけど、たとえば、アメリカでは港湾を活用できる群が国土の15%を占めるそうだが(いわゆる沿岸地域)、そこに人口の半分近くが集中し、富の6割ぐらいが集まっているのだそうだ。


ジンバブエは内陸国。

でも、南部アフリカ地域では南アに次いで驚くべき経済発展を遂げ、農業大国としてアフリカのブレッドバスケットと呼ばれていた。
移住してくる人も絶えなかった。
とくに、1950年代、1960年代ごろ、アパルトヘイト真っ只中の南アから。

実際にわたしの近所に住んでいて仲良くしてくれていたおじいちゃんは、そのひとりだった。
当時、パスポートを「ローデシア」(ジンバブエの独立前の植民地名)に切り替えてしまったものだから、経済崩壊した2000年以降は苦しんだ。


なぜそこまで発展したかというと、たくさん理由はあると思うんだけれど、まず気候がとてもよかったのだと思う。

そして、南アから遠くない。

降雨量も多く、高原地帯みたいな良い気候で、大農場に適した土地が十分にあった。
だから、英国は植民地として発展させた。
都市のインフラを構築し幹線道路を整備し、鉄道も作った。

製造業だって盛んになった。

そして、1965年にはそこに住みついた「ローデシア人」たちは独立しようとした。
結局それは、国際社会には認められなかったわけだけれど。

でも、いい場所だったから住もうとしたことには違いはない。


南アのアパルトヘイトも、結局そう。
Colonialism of a Special Type (CST)という言い方があったな。
簡単に言えば、ヨーロッパから遠隔支配するんじゃなくて、そこに住んじゃおうっていう「植民地化」だ。





それもこれも、地理的条件、気候要件の作り出すものだと思う。


歴史、社会、文化。
植民地も、経済格差も、けっきょく、そういうところに理由があるのだろう。


そう考えると、いろんなものが皮肉に思えてくる。


そして、買い付けに行くための航空運賃が高いのも、地理的要件のせい。

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