『あふりかくじらの自由時間』

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2007年07月

ガソリン・パニック。

何度も書いているが、現在ジンバブエでは2003年の物不足の時期をも凌ぐといわれる(わたしは直接は知らないが)物不足が起きており、相変わらずスーパーや店舗には長い行列ができている。この前の日曜日には、なんとパン工場の外にまでパンを求める一般の人々の行列ができていた。けっこう尋常じゃない。今日は議会の開会式だ。例によってパレードがあって道路が一部封鎖された。

このところさらに顕著なのがガソリン・パニックである。
つまりガソリンが極端に不足している。

現在、クーポン制というのが導入されており、カルテックスなど外資系企業のクーポン(1枚25リットル)を纏め買いしてそれを指定されたスタンドで利用するというやり方が一般的だ。しかし政府は突然、それらクーポンをすべて二週間以内で無効にすることとするなどと発表。巷は大パニックだ。だって、何百リットル分も買いだめしたりしているから。払い戻しではなく(外貨は無い)、現物でもらうようになるため、ガソリンスタンドには恐ろしい行列ができている。そしてガソリンはなくなる。
スタンドでは、数時間から数日待ちが常識となってきた。しかもスタンドによって、給油量に制限を設けるなどカオス状態だ。

今週、その発表を翻して、クーポンはだめにならないけれども今後は政府指定のNocZim経由でのみクーポンを利用できるようにする云々と発表。それでも、いったいこれから政府が何を言うのかわからず、クーポンの有効性もはっきりとしていない。第一、細かいところまで政府自体が決めていないのだ。
さらに、政府指定のNocZimが上手く機能するかどうかも何の保証も無い。
政府指定のところに集めて、外貨をうまく集めようとする魂胆でもあるだろう。

しかし、去年は使われているお札(正確にはベアラーチェック。お札じゃない)をたった二週間で無効にしてしまった政府のことだ。今後も何が起きるか予断を許さない。

ガソリンは、NGOや国際機関などの仕事に欠かせない。食糧援助やエイズ対策などのプロジェクトが滞ってしまっては、大変なことになる。

なんとかして!


というわけで今日は以上。
わたしは29日(日)にハラレを出ます。ブログ書いている場合ではないのだ。YABAIのダ。( ´∀`)つ

ハカタのチョーカー。

今日、水曜日。
今月二度目のボツワナからジンバブエに帰国した。

空港からカルテックスで並んでディーゼルを入れ(昨今の経済状況からして非常に心配していたが無事入れることができた)、その後、直接30キロほど走ってパトリック・マブロスの店へ。
先日セミオーダーしていたチョーカーをとりに行ったのだ。

それは、ハカタと呼ばれる長方形のトップで、ショナの人々の伝統的な呪術に使われたという由来がある。わたしの選んだ図柄は、Wise Womanと呼ばれるもの。ふたつのパターンは、乳房をあらわしている。
そして、パトリックは、チョーカーがわたしの首周りにちゃんと合うような角度で作ってくれていた。

それはとてもうつくしいシルバーで、ずっとずっとほしかったもの。そして、とても大切なものになるはずのもの。
やっと手に入った今日。

静かにチョーカーをみつめ、長い苦しい時間のあとにひとつのピリオドを打ったような、そんな気がした。



ボツワナでは、作家ベッシー・ヘッドの暮らしたセロウェ村へ。大学四年生のとき以来二度目だ。今年は、生きていれば彼女の70歳の誕生日。関連イベントでセロウェ村においてベッシー・ヘッド・フェスタが開催されたのである。

そしてわたしは今回、人生の中でとても重要な人に会い、重要な対話をした。わたしとベッシーをつなぐもの。この複雑な関係。
ちょっと書ききれない。

でも、これだけは言える。

ベッシーは、わたしにとって特別なのである。それは、友だちとか、ファンとかではもちろんない。もっともっとその先にある複雑なものなのだ。













人々は蜂起するのか?




前回も書きましたが、経済状況が非常に悪くなっている様子。
スーパーからものがなくなりました。


かつて南アに次ぐ経済力を誇っていたジンバブエは現在、政府による価格統制が
強制的に行われています。インフレ率が公式発表では、年率4,500%ほどですが、
実際はこれをはるかに上回るでしょう。
このところのインフレの勢いは、目を見張るものがありました。


そして、政府は、価格を安定させようと食料品を含むあらゆる日用品等の
価格を低く定め、これをすべての卸・小売に適用させようと必死なのです。
もちろん、原価を大幅に下回る売値など誰がつけるでしょう。

そして、多くの小売店店主などが逮捕されています。
理由は「値段をつりあげた」ため。コンビ(ミニバス)代なども同様です。

7月13日現在、街中のスーパーなどからものが消えています。
パン、牛乳、メイズ、卵、料理油、肉、菓子類なんかも全く棚にありません。
もちろんです。統制価格では、商売になどなりませんから。

事態は、かなり深刻になってきているようです。今月後半から八月にかけて、どうなるだろう。もう、人々の間に怒り心頭ですよ、これは。
やっぱり蜂起するんじゃないかな。何かあるのでは?まぁ、いつもそんなこといってますけど、今回ばかりはひどい感じがします。

(写真は、夕暮れどきのモノモタパホテル)


ニッポンの参院選の在外投票なんてやってる場合なのかな・・・。今日からはじまったようですけど。

価格統制で物不足。

とても豊かできれいでものもたくさんあるボツワナからジンバブエに帰国したら、先月始まった価格統制がますます深刻さを増していた。

パンやミリミールなど、食料品等を50%にせよとか。
このインフレ率5,000%は越えているであろう勢いのスーパーインフレで、価格を下げたらどうなるか。つまり商売にはなりません。

そして、日用品などはスーパーからなくなる。
週末も、スーパーに行ったらたしかにパンや牛乳や卵などがなかった。当然だ。政府の決めた販売価格は、原価を大幅に下回るからだ。物不足がずいぶん深刻になっている。

先週のサタデーヘラルドには、スーパーの経営者が33名逮捕されたと書かれている。他にも、実に多くが「価格違反」で逮捕されているらしい。なんという国家であろう。


ちょっと調べて、まとめないと。



=====

ブログに、ちょっと変なブログパーツつけたりしてる。
そんなことしてるヒマないっちゅうのに。

「07-07-07」という日に。

256e372d.jpg本日は2007年7月7日。
一日前の7月6日は、作家ベッシー・ヘッドの誕生日でした。
1986年に亡くなったベッシーではありますが、生きていれば70歳になったはず。


人々は、集まって彼女の誕生日を祝いました。
わたしの「一方的ソウルメイト」(それは直接会ったことがないからなのですが)であるベッシー・ヘッド。彼女はわたしの人生を変えました。


今日、わたしはボツワナから帰ってきました。
ボツワナの首都ハボロネに行っていたのは、ボツワナ大学で開催されたベッシー・ヘッド学会に出席するためでした。

9年ぶりに訪れるボツワナ。

もう亡くなって20年以上も経つのに、彼女の友人や、彼女を愛するひとたちや、学術的研究をするひとたちはこんなにたくさんいるし、こうして情熱をささげているのです。

大学四年生のときにボツワナを訪問した際、わたしを助けてくれた大学の先生方に再会しました。そして、いままで、本を通じてしか知らなかった「有名な」人たちに初めてお目にかかり、わたしは感動に打ち震える・・・かのようでした。

わたしの人生にとって、かなり「歴史的」な出来事なのです。
とてもとても、重要なことなのです。



詳細は、メルマガ『あふりかくじらの自由時間』に書く予定。


新しく出た本などを買い込み。
真ん中は、パトリック・カリナンとベッシーの手紙のやり取りを、パトリックの解説付きでまとめたもの。
あまりにすばらしく、読書に夢中。


やるべきことがあるのにねぇ・・・。




==========

上記の本は"Imaginative Trespasser"by Patrick and Wendy Cullinan

『ブラッド・ダイヤモンド』を観る。

 ★今日は、エンピツ日記『あふりかくじらノート』と同じ★

土曜日の午前中、ハラレのちょっと郊外にあるパトリック・マブロスのお店へ。土曜日というのに、パトリックの工房は忙しそう。
それでも、あたたかく迎えてくれたパトリック。熱心にわたしの注文と自分の見立てを分析しながら、ひとつのアイディアをつくってくれた。シャープなシルバーのチョーカーが欲しかったのである。

こうして、セミ・オーダーメイドにしてくれるパトリックは、自分の持っているものに自身を持ちなさいといってくれた。
背が高くて独特の雰囲気があるのなら、気後れせずにおおぶりのアクセサリーを身につけなさいと。

ハラレ郊外にあるこの場所のことは、これまで何度かここにも書いてきた。
いつもは職場のひとたちと一緒にいたけれど、ひとりでくるのは初めて。
紅茶を出してくれ、熱心に見立ててくれる職人パトリック。
このうつくしい丘の上の風景に心が解放されていく。こんなに落ち着いた気持ちになれるなんて、早くひとりでくればよかった。邪魔もいないし。
やっぱり旅することも、こういう自分にとってごく個人的で大切なことも(自分の中でこのシルバーのチョーカーをつくってもらうことは、とても意味のあることなので)、ほんとうにひとりでやるべきなんだな。そういう当たり前のことに気づかされた。
風が心地よい。



ハラレ中心部に戻ってきてカフェでゆっくりしたあと、ふと思い出してアボンデールの映画館へ。
ディカプリオ主演の『ブラッド・ダイヤモンド』が上映されていることを思い出した。

紛争ダイヤモンドのことや少年兵のことは、アフリカ研究をしていればもう何度となく聞かされてきたむごい話だけれど、これをここまで迫力ある映像にするとは、なんとすばらしいことなのだろう。
監督はもとより、出演者もすばらしい。ディカプリオもすばらしかったが、とくに、ソロモン役のジャイモン・フンスーには圧倒された。

血塗られた殺戮のシーンはむごたらしく、でも、これがシェラレオネで起きた事実なのだと思うと苦しい。こんなことがアフリカで起きてきたし、いまでもこういうことは終わっていないのだ。単なる殺人マシンと化した少年兵。いまでもこういう子どもたちがたくさんいる。殺すことになんのためらいもないのだ。

ディカプリオの熱演振り。南アというか、旧ローデシアの訛り。このひとは、ほんとうに厚みのある俳優になってきているんだな。

しかし、ここの映画館でいつも思うのは、周囲がうるさいこと。
わたしはいつも、映画の世界に入り込んで観ていたいのだが、たとえばディカプリオ扮するダニーが「オレはローデシア生まれさ」とか、「ショナの言い伝えでは・・・」と言ったりするシーンで、ゲハハハー、とかヒッヒッヒーなどという下品な笑い声が客席から響く。

まあ、ここはジンバブエで、まさに昔「ローデシア」だったところであり、観客の多くはショナの人々であるので、くすぐったい気持ちもわからなくはない。しかし、ほんとうに邪魔をしないで欲しい。

シリアスなシーンでも、野次が飛んだりする。
怖いシーンやヒロインが泣いたりする場面でも、馬鹿にしたようにヒッヒッヒーなのである。ああ、もう・・・。

『ブラッド・ダイヤモンド』は、圧倒的だった。
何度か涙がこぼれたし、とくにいちばん最後のシーンがとても心の奥深くに響いた。

しかし、映画館はいっつも、エンドロールの最初のところでぶちっと切って灯りをつけてしまう。そして人々は余韻に浸るということを知らない。
わたしはいつも、ぜったいに最後の最後まで音楽を聞きながら浸っていたいタイプなので、これは許せない。

なんというか、観客も映画館も、映画そのものをリスペクトしていないように思う。

すごく心に響いていて、スーパーにお買い物をしにいこうと思っていたのを中止して家に帰ろうとした。
すると、たまたま同じ映画を観ていた知り合いのジンバブエ人女性(スーパー・ハイテンション)の声が聴こえて、思わず逃げた。
けど、駐車場で見つかってしまった。
「きゃー元気ィ〜!!?」(ああ・・・もう)って満面の笑み。
あんだけシリアスな映画を観て、何にもこころに響いていないのだろうか。

「あれ〜、何だか疲れてるの?」だってさ。こっちは泣いてるんだよー映画観て。なんというか、台無し。

せめて、映画はとことんまで世界に入り込んで観たいのです。
がんばって作ってあるものなんだし、エンタテイメントなんだから、どうか他人の邪魔はしないでください。


パトリック以外、とくに誰にも会わずに週末が終わります。
今日は一歩も家から出ていません。
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セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた: 大学生、作家ベッシー・ヘッドに会いたくて、ボツワナへ行くことにした。
横山仁美
B01A4FSZXE



↑↑Kindle本出ました!!




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