『あふりかくじらの自由時間』

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2007年02月

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c0229b05.JPG仕事も早々に切り上げて、日が沈む6時前には
サンリッジのカルテックスに向かう。ひたすら、西へ西へと。

モザンビークにハリケーンが来ていて
とても被害がひどい様子。
ジンバブエの隣の国。
ひとが40人は亡くなっているらしい。
家々も壊れ、流されて。
大きな緊急国際援助が動くだろう。


西のカルテックスはとても込んでいて、
ディーゼル車のカローラのわたしは
巨大なトラックにはさまれてディーゼル待ちの列に並ぶ。

たくさんの大きな雲が、日が沈む直前の藍色を浮かべ、
あちらからこちらへと信じられない速さで流れていく。
地球では、何かが乱れている。


途中で停電があり(停電・断水はこのところいつもよりひどい)
給油がストップするも、しばらく待てば電気も戻り再開。
結局待ち時間は一時間程度だったかな。


すっかり夜になり、今度は現在休暇中の同僚のフラットへ。
一ヶ月以上不在なので、フラットの鍵を預かっているのだが、
今日は用事があって、彼の部屋を訪ねた。
すっかり日が暮れてしまっていた。

そこは、古いが高級マンションで、とてもすてきな雰囲気。
わたしは彼のフラットがとても気に入っている。
(まぁ、自分の家も好きだけど)
何せ、6階(日本でいう7階)だけれど、眺めが良いのだ。

鍵を三つくらい開け、見慣れたそのフラットへ入った。
キッチンの電灯が壊れているのは知っていたので、
そこにある小さな電気スタンドにスイッチを入れる。

キッチンの大きな窓から見える、ハラレの夜景。
ビル街が見えて、わたしたちのオフィスもみえる。
マンションがいくつか見えて、明かりが灯っている。
金曜の夜、ハラレ。

わたしはいつも、ここへ遊びにくるときはこのキッチンが
お気に入りだった。夜景がとてもきれいなのだ。

不意に、同僚がキッチンに立つ姿を思い出す。
お料理が上手な彼が、立っていたキッチン。
いつも戦争の後みたいに散らかしていたけど、味は一流だった。
わたしたちはよく、ごちそうになったあとの大量の洗い物を、
おしゃべりをしながら片付けていたっけ。

暗い夜、うつくしいハラレの輝きを見ながら、
わたしはこのフラットでひとり立っている。
主のいない誰かの家は、いつも淋しかったことを思い出した。
ほんとうに、しんとして淋しいのである。

とても静かで、でも彼の存在が微かに残っているようで。
彼がここでひとりで過ごす時間が残っているようで。
その不在が、心に沁みた。

もっとも、彼に会えないのもたった一ヵ月半くらいのものだし、
恋人でもあるまいしとは思うのだけれど、
毎日そばにいたひとがいないというのは、
それはそれで不思議な感覚である。


そしてわたしは、その不在の中にひとりで立っている。


その空気がわたしをすっかり取り込んでしまわないうちに、
逃げるようにして電気を消し、ドアをしっかり施錠し、
今度は今日旅から帰ってきたばかりの職場の人の家へ。
彼女とたくさんおしゃべりをしてから帰宅。
お届けものついで。


わたしは、わたしの存在感のある家の中で
かたかたとPCのキーボードをたたいている。

いま、かかっている曲は、村治佳織のギター。

ほんとうに静かで満ち足りた、ギターの音。
この夜に、しっくりくる。


風が強い。
ハリケーンがやってくる。

世界を見渡すローズの想い、その名残。

セシル・ローズというひとは、すごいと思った。
マトポスと呼ばれる国立公園の岩山のてっぺん、焼け付くようなその天国に近い場所に、360度のパノラマが眺められる場所に、彼は葬られることを希望した。

そんな、想いのかけらみたいなものが残っているような気がした。


ブラワヨから、少し離れたマトポスということろへ。
ブッシュマン・ペインティングも見て、サイとキリンもみた。

mountain







sai






kirin






shika






とりあえず、メルマガに書くことにして今日は寝ます。疲れた。


シカの首、とくに絞めていませんよ。いやほんと。

オコメの挑戦、サザからネリカへ。

ab059be9.jpgニッポンがネリカ米をプロデュースしはじめてから久しい。(リンクはUNDPのフライヤー。いきなり「アフリカの飢餓を救う」と書いてあるところがひいてしまう。まるでアフリカすべてが飢餓に陥っているかのような表現に取れる)
賛否両論有り、議論の余地有り、課題ありではあるものの、ネリカ米の促進に力を入れているJICAを筆頭に、ウガンダなどではけっこうなプロジェクトが進行しているとのこと。いままでネリカについては知っていたが、実際詳しい話を聴くのは初めて。

ちなみにネリカ米とは、New Rice for Africaというやつで、品種改良され、旱魃に強く栄養価も高く、育ちも早く、という利点を兼ね備えたもの。ただし、これらすべての利点を同時に併せ持つことは難しいという。
同じ「ネリカ」でも多くの種類があるらしく、まだまだ品種改良の余地はある。

写真は、実験農場から収穫されたネリカ米。ゾウさんたちは本文と関係なし。

さて、ジンバブエで果たしてネリカ米が普及するのか。
現在食糧不足に陥ってしまうほどのこの国の農業の落ち込みようは、政治経済的混乱に起因するところが多く、また種子や肥料等のインプット不足は外貨の不足にもよるものである。ここをまず第一に解決しなければ、農業の建て直しどころではないのが実情だ。

また、ジンバブエではむろん主食はメイズの粉から作ったサザ(ウガリ、シマ、パパとほぼ同じかな)であるが、米をけっして食べないわけでもない。米はいつでもミリーミールより若干高価で、お客様が来たとき、祭事のときなど特別なときに食べるケースが多い。(もっとも都市部ではもっと米が一般的ではある)
換金作物としてネリカを生育することができたら、これは良い自立支援プロジェクトにもなる。
しかし、そこへ行き着くためには、マーケティングの問題だけでなく、知識や技術、インプットの問題、灌漑設備の問題、精米する設備の問題などなど、たくさんの課題がある。

ここで実験されているネリカは陸稲である。

これがジンバブエで普及するとなると道は遠いけれど、他国で成功している例もあることだし、ジンバブエでもいつか将来的にはうまくいくかもしれない。
ただ現在は、その前に考慮すべき問題が山積しているというわけだ。まず、その日のメシなのである。そして、明日の給料なのである。


ちなみに今日、閣僚再編で財務大臣が外れてしまった
あらら。
新しい財務大臣は、前外務大臣の弟(だっけ?)サミュエル・ムンベンゲグウィ。
どうなりますことやら。詳しくは新聞記事を。大臣大交代。
ニッポンの某大臣も、そろそろ交代?


っていうか、ここにこんな長文書いてる場合じゃないわけ。
ああ!お持ち帰り仕事!ちゃんとお料理つくって(茄子と鶏肉の煮付けと温野菜のサラダ、白いごはん!今日、米のこと考えていたから)のんびり食ってる場合じゃないわけ。
週末のブラワヨ旅行までに、片付ける…ゾ!

読んでくださり、感謝。

あふりかくじら、7年目。

7de61460.jpg『あふりかくじらの自由時間』というメールマガジンをはじめて、この2月で7年目に入った。

最初、エディンバラ大学大学院で修士課程に入り、アフリカ研究センターというところにいたが、このとき日本の友人等にいちいち近況報告のメールを書くのが面倒くさく、いっそのことメールマガジンにして一般公開してしまえ、というのがそもそものきっかけであった。

だからこれは、ささやかながら「手紙形式」ということを重視しており、さらに情報提供という意味もまったくない。わたしが感じたこと、思ったこと、日常のこと、そういうことをつれづれに書きとめ、そして誰かに語りかける。
手紙だから「読者」と呼びかけることはしないし、むろん「次号お楽しみに」などとエゴのかたまりのような表現はぜったいにしない。そして、読んでくれたことを感謝する。
読みたいひとが読んでくれ、そしてどこかわたしと共感したり何かを考えるきっかけになったり、わたしの様子を想像してくれたら、それでいいのである。そして、わたしの意識のフィルターを通した「アフリカ」や世界を感じてくれたらと願っている。

アフリカは54ヶ国で成り立っている大陸であり、わたしが見ているのはほんとうにほんとうに小さな一部。そして今、しばらくの間だけではあるが、ジンバブエという国に暮らすことができた。これからもずっとアフリカに関わっていくし、わたしは書き続けるであろう。

日本から遠いアフリカのことを、わたしの意識と日本語の文章を通して誰かが感じるきっかけとなってくれれば、そこにわたしのメールマガジンの意味が生きてくる。
わたしはアフリカ研究者だけれど、「あふりかくじらの自由時間」は個人としての感性や人生観、アフリカ観を盛り込み、個人として、あるときふっとそういうものを感じ取ってもらうことを期待している。一般の、ごく普通の日本の人々に、ごく普通の人々が暮らすアフリカというものを知ってもらいたい、あるいはそのきっかけにしてもらいたいのだと。

アフリカ研究者の、「自由時間」なのである。

野生動物や大自然、紛争や食糧難、政治的混乱やエキゾチシズムなどではない、普通の家で暮らす、サザを食べて暮らすささやかな生活のこと。ステレオタイプを助長するようなものは避けたいと思っている。こういう風景すべてが「アフリカ」なのだから、という思いが伝わってくれるといい。そして、何かを考えるきっかけとなってくれればいい。



さらに、もっと小さな「個人的なこと」やささやかな日常に切り込むために、「アフリカ」と必ずしも直接は結びつかないメールマガジンも過去何年間か続けており、これは250号を数える発行回数になっている。
この【あふりかくじら★カフェ】は、もっともっとちいさなことばで成り立っている。メッセージ性も、少し軽い目か、ときに重くてもさらりと書けるように心がけている。わたしも好んでこういうタイプのメールマガジンや誰かのウェブ日記などを読んでいる。あるときふっと、こころの底のほうにことばが染み入るように届くからだ。
すべてのことば、なんてのは無理だけれど、ふっと無防備なときに届くことばは胸を締め付けたり、あるいは懐かしい気持ちにさせたり、元気を与えたり、痛みがふっと解きほぐされたり。こういう瞬間が好きなのだ。

そしてそれは、深夜のラジオにも似ている。
しずかにDJが語ることばが、ふっと心に届く瞬間があるからだ。たったひとり、耳を傾けるラジオのこと。
【あふりかくじら★カフェ】は、そういうことを願っている。


これがわたしのメルマガ哲学、である。


*とりとめもなく。日曜日の昼下がりにこんなことを思ってみた。
メルマガ発行スタンド「めろんぱん」さんから「メルマガお誕生日メール」が来たからかもしれない。【あふりかくじら★カフェ】は4年目を迎える。



『あふりかくじらの自由時間』(月3回程度発行)

【あふりかくじら★カフェ】(週3回程度発行)

夕方に落ちていくもの。

cb1e9844.jpgピアノを弾くということを忘れていた。

このところしばらく触っていなくて、もともと古いレンタルのBELLというピアノの蓋をそっと開けると、微かにかびのにおいがした。
調律はできていないけれど、わたしはこのピアノが好きだ。ハラレにレンタルをしてくれるところがあって良かったと思いながら、ピアノを弾くしかない精神状態のわたしは指を鍵盤にすべらせる。

古き良きローデシアの音なのだろうか。


逃げ場所のない、夕方の精神状態が自分のピアノの旋律のなかに放出され、わたしは遠くへ行く。音の世界。
これはわたしの精神から出てきた、わたしの波長なのである。だから、増幅され無限に高まっていく。
文字通り、肩で、頭で、激しく丸く、わたしは夢中でピアノを弾く。何にもとらわれない、自由な音で、ショパンとドビュッシーと黒人霊歌を。


夕方というのはとてもトリッキーな時間だと思う。
つまり、4時ごろとか5時ごろとか。
仕事をしているときとか、何かの予定をいれ、夢中になっているときは良いのだけれど、いちばん孤独を感じるのって、この時間帯だ。
とくに、今日のように入れていた予定が何となくキャンセルされてしまい、出かける気力もなくしてしまい、頭がぼんやりとして仕事の疲れがもろにのこっているときなど。
そして、泥のようにくたびれているのに、ベッドでも眠りが訪れなかったりする夕方の時間帯。
やるべきことはいつでもいくらでもあるけれど、もちろん呆然とこの夕方に放り込まれた自分には何もすることができない。

自分でもおかしいと思うくらい、今日の夕方の落ちていく精神状態はひどかった。わたしは、自分で自分をコントロールすることができるようになってきたのかもしれないけれど、不意をつかれて混乱する夕方がある。
なんだか辛くて、色んな感情が交じり合って、泣いたりもしてみた。


これは夜になって、部屋に灯りを入れるころになると、すうっと消えていく孤独なのであるが、今日はそんなことよりもその混乱振りに動揺している。
だから、夢中でピアノを弾くしかなかった。


けっこうひとりで生きていくのって大変で、わたしは色んなものを抱えすぎているのかもしれない。周囲の人に迷惑をかけ、感情を撒き散らしてしまうけれど、きっとほんとうの意味でわたしは彼らに何とかしてもらおうとはまったく思っていないし、そういう意味ではきちんと誰かに「話せていない」のだと思う。

ひとは、「キミの抱えているものは辛すぎる」とも言うし、「そういうものは誰でも抱えている」とも言う。
でも、ごく当たり前のことだがすべては「自分」次第なのだ。向き合い、解決するのも、夕方にほうりだされて混乱するのも、何故かこんなことで泣いてしまうのも。


バスタブに湯を張り、ラベンダーの香りをいれる。
夜になり、精神状態は闇の濃さに溶けていく。


好きなひとに、きれいだよ、と言ってもらえることは幸せだ。
彼がメールに書いてくれたそのひとことだけで、わたしはもうぜいたくを言わないと思えるような幸せが分け与えられる。
遠くにいても、あえなくても。


そして、夕方に落ちていく。

夜が満ちていくと、ことばがたくさん降ってきた。



だから、まとめてメールマガジンを書いている。

適正価格とは、その理由がある。

3cafe5b5.jpgゴノ中央銀行総裁が、金融政策を発表した。
記事はこちらに。(デイリーミラー紙)

ともかく、為替レート切り下げはない様子。
現在、1米ドルが250ジンバブエドルという公定レート。
しかし、闇レートでは5,000を越えている。つまり20倍だ。
ちょっとしたホテルや何かで朝食を取るとする。25,000ジンバブエドル。つまり100米ドル。破格である。

この公定レートを維持し、さらに価格統制を強化する。つまり、パンや牛乳等の食料のほか、ガソリン、各種公共料金、その他もろもろ。価格の「不適当」な「歪み」を矯正するためだという。
その後、この統制価格を修正する。これが7月からに設定されている。

どうやら、インフレは悪化するらしい。
現在、ジンバブエのインフレ率は世界一。1,281%である。
しかしこれは、戦後のドイツや、ブラジル、アルゼンチンなどといった高インフレを経験した国々と比べればまだ低いが、今日の給料が明日半分になるような経済である。今日買った食料が、明日には倍になる経済である。


新通貨導入の噂があるが、これをインディペンデント紙が先走って情報入手して報道している。
つまり、現在は「紙幣」を使っておらず使用期限付きの「ベアラーチェック」(無記名小切手)なのだが、今後は紙幣を導入するということだ。そしてその場合には、やはりデノミが行われるであろう。ゼロの切り捨てである。再び。
昨年の8月以降、どんどんゼロは増えているから。

ところで、ゴノの金融政策はとてもわかりづらい。



*写真は、最近訪れたチノイ・ケーブ。本文と関係なし。

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セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた: 大学生、作家ベッシー・ヘッドに会いたくて、ボツワナへ行くことにした。
横山仁美
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