『あふりかくじらの自由時間』

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2006年11月

クッキング・オイルが消えるの巻き。

お店からパンが消えたり、牛乳が消えたりするのはわけがあります。それはジンバブエ政府(ダークサイド)の価格統制。
違法に値段を吊り上げて国民を苦しめちゃあいけないよ?ってんで価格を決めてしまって、それ以上の値段にしたお店の人を逮捕しちゃうぞってわけですね。インフレ率は1,000%超(年率)ですよこの国は。誰も赤字を出してまでパンや牛乳を売りません。

一方で、お店からクッキング・オイルが消えているのはわけがあります。
最近の新聞(インディペンデント紙・独立系→政府のプロパガンダ紙ではない)にございましたが、これは「米国のせい」となっているのですね。
つまり米国や英国などは、要人の渡航禁止やビジネス禁止などといった対ジンバブエの部分的経済制裁政策をとっているわけで、このHeinz社の傘下にあるOlivineという会社は、米国の対ジンバブエ制裁の決まりに則って、「政府によって不当に奪われた農地」で生産される原材料は買ってはいけないとなっている。つまり、大豆や綿花の種子など、クッキング・オイル(食用油)の原材料となる農作物は購入できない。要するに生産がストップしてしまうわけです。

よって、いまほんとうにスーパーからオイルが消えました。
これは国民の生活に直結する重大事。普通のお食事で、たとえばシチュウなどを作る場合にクッキングオイルはたんまり入れる文化なわけですから、一般家庭のオイル消費量は日本の平均よりも断然多いはず。

そしてこの会社はかなり市場を独占しているようですから、けっこうな影響で、連鎖的に他の企業等もダメージをうけるでしょう。


しかし、こんな「サンクション」でいいのか!?
どう考えても、いちばんサンクションされるべきひとにダメージはいっていなくて、そのかわり弱い国民に影響が出て、そして、米国はまた「Evil country」呼ばわりされるだけではないのだろうか。と思いますけれども。

ジンバブエの空気、ムビラの風

その絵本はとてもきれいな色合いだった。
きれいで、でもほんとうにちょうどよく落ち着いたような絵が、
やさしくジンバブエの空気や風や音を伝えていた。

そして、人々のことを伝えていた。


日本から、作者の方がわたしに届けてくださった絵本。

ムビラというとてもうつくしい楽器を
ほんとうに魅力的に伝えている。


たくさんのひととシェアしたいわたしのジンバブエが、
この本の絵のなかにきちんと閉じ込められていた。


『神とつながる音〜ジンバブエのムビラ』 ハヤシエリカ著 新風舎


くじら的ハラレの日々。

95410967.jpgたとえば、木曜の夜になると歌が聞こえる。
野外で、どこかのキリスト教会が礼拝を行っているのだ。ここは多くのひとがローマ・カソリックだが、少し変わっていて、白い衣装を身に着けて野外でひたすら歌い、ときに踊るのである。

たとえば、オフィスに毎朝やってくるクリーナーさんの教会は木曜日の夜になるとひたすら長い礼拝を行う。夜明け近くまでひたすら歌を続けるので、金曜日の朝はいつも彼女はくたびれた顔をして、でも微笑んでいる。

わたしも高校や大学は日本のキリスト教系で、教会や礼拝にはけっこうなじんでいるけれど、ここで歌われる歌はすべてショナ語のオリジナル。耳慣れた賛美歌ではないのである。


そして週末。
日曜日にもやっぱり、白い衣装の彼らはわたしの家の裏手の広い場所で、木陰に座ってお説教を聞いているのである。


写真は、先週末日曜日に訪れたタファラにて。レジナルドと妹、そのお嬢さん。
平和で普通に暮らす、ごく普通のジンバブエの風景。


今日は、現在わたしの家に滞在中のお友だちと、お買い物に向かいます。

この世界に、わたしと夕暮れだけ。

a9558dc3.jpg夕暮れるハラレ。
雨季らしい雲が浮かぶその空に、濃紺と夕暮れ色が織り成す空気。

この空気なのだ。
微妙に水分を含んだ、雨季の風。
そして、熱を忘れきれないような、それでも1,500メートルの高地は日が落ちてゆく。


この世界に、わたしと夕暮れと、この瞬間だけ。
たったひとり、この空の下、車を運転するだけ。



そんなことを、毎日考えたりしている。

ジンバブエを頑張る。

75693d5a.jpg(注:本日の「あふりかくじらノート」と同内容)



なんてうつくしい夕暮れ時なのだろうと思う。
どこの国でも夕日はうつくしいとおもったけれど、ひときわ心に染みるのはやっぱりひとりで立っている今、このアフリカの大地に沈む太陽と空の色だ。

日が暮れて、いただいたフレッシュな野菜を料理する。
たまねぎを炒める。キッチンに熱を入れる。

日々の暮らしを立てること。自分自身のための暮らしを立てること。
このことがとても大切なのだともう一度思いながら、カーテンを閉める。


今日は、先週に引き続き遠出。
先月から今月にかけて、お出かけ月間である。
別の方向に、別のひとたちと。

広い大地、なだらかな丘。緑が映え、大農場のあとが広がる。この国が豊かでうつくしい農業国だということがとてもよくわかる。それでも、いまは人為的に生産された食糧不足に陥っている。それもかまわずに、太陽は降り注ぐ。

一日を終えて、もうひとつの「現実」であるこのハラレのフラットに戻ってきた。贅沢にお湯をたくさん使って身体をリラックスさせ、そして音楽をかける。

夕暮れのなか、こころがしんとして、淋しさにおそわれる。この夕暮れのうつくしさやひとりの静けさという意味の淋しさではなくて、とても長い時間の、遠い人生における孤独感のような種類の淋しさだった。

今日、とてもすてきな場所を見せてもらった。
ハラレから100kmほどの街から少し外れたMupfureという土地。ここでもまた、小さな暮らしがたくさんある。そしてわたしは、ジンバブエにいるという感覚を取り戻す。このエリート階級の暮らしでは決定的にかけてしまっている、どこか「正常な」感覚を。

それに気づくと、どうしようもなく淋しくなる。
わたしはこの夕暮れの空を、どこに向かって生きていくのか。
そういうことをぼんやり考えるのである。たったひとり、自分自身の生きているアフリカという大地のこと。これから先、わたしはどこに何を求めるのか。


あれこれ田舎を訪問する計画を立てていたら、ほんとうに精神状態がとてもよくなってきたような気がする。本来の自分のやりたかったこと。これを無理せずすんなりと素直に実現できる精神状態。

そして別々の、しかしそれぞれにうつくしい「故郷」のような土地を見てふと思う。

ジンバブエを頑張らなきゃ、と。

それがどういう意味であれ、今の気持ちにしっくりくる表現はこれだった。人々に会う、知らない村を訪れる、食べたことのないものを食べ、マーケットでお買い物をする。そして風を感じること。
そして、仕事もそう。この国の政治経済状況について対外的にまとめていくこと。そして、ものを書くこと。わたしの意識を通したアウトプットという作業なのだ。

ものを書くことで、わたしは生かされている。
そういう種類の感情なのである。



=====

*本日の旅、Chegutuという小さな町から少し外れたMupfureという場所については、メルマガ『あふりかくじらの自由時間』【95】ご参照。ま、これから書くんですけど。

バオバブを見上げて。

e9458d71.jpg見上げるように巨大なバオバブに触れ、わたしが再び訪れたのはMutokoという地域。
ハラレから車で二時間半程度。

道なき道を、初めて小さなカローラで疾走。

いつもいつも、田舎に来ると「正しい場所」にいる感覚を覚える。
電気も水道もない、やたらと明るくてまぶしくて、そして小さくて素朴な暮らしをしている時間の流れ。


というわけで、なぜだかホームステイのような形になったChakuという村の滞在についてはメルマガに書きます。

なお、写真はウェブサイトのほうにアップする予定。たくさんある。
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セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた: 大学生、作家ベッシー・ヘッドに会いたくて、ボツワナへ行くことにした。
横山仁美
B01A4FSZXE



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